超未熟児成長日記 2024年5月の育児日記
1歳になる月!
娘が産まれて5月で1年になりました。
この1年はあっという間でした。
あっという間でしたが、すごく濃い1年でした。
振り返り
始まり
まず新年早々妻の妊娠が発覚して喜んだのもつかの間、切迫流産の危機にさいなまれ妻の精神が落ち込んでいっていました。
そんな中でも定期健診で元気に成長する子の姿(エコー写真や胎動で感じる)には妻も私も励まされました。
妻は仕事復帰したり休んだりを繰り返しお医者さんには切迫流産の危険があるから絶対安静を言い渡されてとなかなかにハードな感じでした。
事件発生
そんな中2023年の5月、いつも通り定期健診に産婦人科に訪れていました。
妻は子の成長が見れると毎回楽しみにしていました。
私は妻を駐車場で見送って車でお留守番していました(コロナで病院に入れなかったので)。
すこし時間がたって突然看護師さんが現れて慌てていたのか私の車の前であたふたし始めました(駐車場が狭いのでどう声をかけようか悩んでいたらしい)。
私が車から外に出てどうかしましたか?と声をかけると「とりあえず来てください!」と言われました。ただならぬ雰囲気にちょっと怖い気持ちを抱きながら病院に入ったのを覚えています。
そしてお医者さんと妻のいる部屋に通され聞かされた内容は流産の危機だから今から緊急搬送して県病院まで行ってもらうとのことでした。
妻と子の状態は?
言われるがまま妻は救急車に担ぎ込まれ搬送されていきました。
私も救急車の跡を事故らないように冷静に追いかけました。
県病院につくと妻はいろいろ検査に入っていたので私は書類を書き待合室で待機となりました。そして県病院の先生からこれからのことの説明を聞きました。
内容は即入院からの絶対安静でどうにか流産にならないよう処置していくとのことでした。
子はちょっとしたことでいつ出てきてもおかしくないが、まだ22週に達していないので今産まれると流産という扱いになってしまうとのことでした。22週に達していなければたとえ生きていても流産になるなんてその時初めて知りました。
なのでひとまず22週を迎えることが絶対条件、22週を迎えたらできるだけ母体にとどまって成長するように頑張ることが目標となりました。
妻の入院生活
正直こんなことになるとは思っておらず入院準備は少し早めの出産予定日の2か月前から始めればいいんじゃないかね?とか妻と言っていたので、入院準備はほぼできていない状態でした。でもほんのちょびっとだけ妻が準備をしていたのでそれをもとに必要なものをヒアリングして準備を開始しました。マタニティパンツとかはあらかじめある程度準備指定のですが、入院となると数が足りないということで私が買いに行くことに(;´・ω・)
正直買うのがすごく恥ずかしかったです・・・しかしそんなことも言ってられないと一生懸命準備しました。世の中の男性の方に伝えたいことは妊娠が発覚したらその時点で入院準備は妻と一緒にしておくことをお勧めします(一人だとすごく大変でした)。
妻は絶対安静の状態になるためずっと寝たきりになるとのことだったのでペットボトルの水とかお茶を大量に購入したりしたので運ぶのにすごく苦労しました。
そして準備が終わると準備したものを病院の妻の病室に届けて少しぐらい話ができるかと思っていましたが、面会が15分と短すぎたため入院の準備物を届けて病室に補充したらすぐ時間になり、次行った時も洗濯ものや必要になったもののヒアリングですぐ面会終わりという感じでゆっくり話すこともままなりませんでした。そのため基本LINEでやり取りするだけで、面会時は顔を合わす程度という感じでした。これもコロナの弊害ですね。
こんな感じで妻は入院生活を送っていました。
22週を迎えて
そんなこんなで何とか無事絶対条件である22週を迎えることができました。
妻は絶対安静で寝たきり状態ですごくストレスを抱えていましたが、一つ大きな目標をクリアしたことで少し安堵していました。しかしまだまだ予断を許さない状況であることに変わりはありません。22週を迎えても今のまま産まれてしまえば様々なリスクがある状態です。そのためできるだけ長くお腹の中で成長してもらうことが大事です。
そのため子宮収縮を緩める少しきつい薬であったり、寝たきりの状態で腰から足が体より上になるように調整したりなどすごい妻にはすごく苦労を掛けました。
こういう時男は無力なのをすごく感じます。
そしてまた事件
22週を迎えて1週間がたったころ、いつも通りお見舞いに行って洗濯物や必要物資の補充などを済ませて少し話をして帰路に就くという感じで家に帰ろうとしていました。
普段はまっすぐ家に帰るのですが、その日はなぜか病院近くのホームセンターに無償に寄りたくなり用事はないけど立寄ってから帰ることにしました。用事がなくてもホームセンターは楽しいですしね。
ホームセンターで少しブラついた後家に帰りだし始めました。
そして運転中にマツダスタジアム目の前の交差点で電話が鳴り響きました。
慌ててマツダスタジアム目の前のローソンに車を止め電話に出ました。
妻からでした。
内容は「もぅこれから産むことになったから病院に戻ってきて」とのことでした。
いきなりすぎてびっくりして何度か確認しなおしたのを覚えています。
そして出産
病院に戻る前に少しゆめタウンで待機していてとのことだったので待機していました。
スマホのバッテリーが少ないことに気づきとりあえず3COINSでモバイルバッテリーを購入しました。買った直後でもある程度充電されているのでそれで事足りるだろうと買いました。
そして病院に呼ばれたため妻の病室に向かいました。
そしてお医者さんからもぅいつ産まれてもおかしくない状況になっていて、自然分娩で子供にストレスを与えるよりも帝王切開でできるだけストレスを与えず産んであげたほうがいいと判断したのでこれから帝王切開で出産をするとのことでした。
院外から手術してもらう先生をよぶので到着までしばらく待機になりますと言われたのでまた待つことに。
ちょうどこの日はG7サミットが広島で開催されていたため先生が来るのが遅れていると言われました。そして先生も到着し手術が開始されました。
本当に待ち時間がすごく長く感じました。
妻から電話をもらったのが15時30分ごろでした。それから娘が産まれて初めて娘の顔を見たのが19時37分でした。
すっごく小さくて体重は485g、まだ肌も未発達でいろいろ管も繋がっていたけれど必死に生きてくれていました。そして娘を見た第一印象が「赤ちゃんの頃の俺にそっくりだな」でした。
無事娘も産まれたけどまだ終わったわけではありません。
娘はいろいろな検査、妻は手術中ということでこれからはひたすら待つことに。
妻が手術を終えたので、廊下でお疲れ様と言葉をかけて妻は「うん」と言って病室に運ばれていきました。あとは娘の検査待ちだけとなりました。
そして待ち続けて日付が変わって0時30分ごろに検査がすべて終わって今のところ異常はないんで大丈夫ですよと看護師さんから言われました。
すごくホッとしました。15時半過ぎから待ちに待って9時間、長い長い待ち時間でした。
しかしとりあえず母子ともに健康とのことだったので、帰路につきました。家に着いたのは1時半ごろでした。
そして今に至る
無事出産をして今2024年5月に1歳の誕生日を無事迎えることができました。
手術も何回か実施し、未熟児網膜症の治療も続けてまだ経過観察中。
まだ問題は残っていますが、順調に大きく成長しています。
5月の育児
娘初めてのゴールデンウィークとなり、フラワーフェスティバルに妻と娘と妻の友達とで行きました。普段聞きなれない喧騒と風景に娘がずっとキョロキョロして可愛かったです。
まだ離乳食しか食べれないので屋台の食べ物は来年かな(*‘ω‘ *)
GWは他にも宮島、山口、近所のジェラート屋さんと娘を連れていろいろなところへお出かけしてきました。これも娘が元気に大きく成長してくれたからこそできることだなとしみじみ感じました。そして退院後ずっと飲んでいた薬も5月いっぱいで飲まなくてもいいよということになりしっかり成長しています。
成長といえば今までミルクを飲む際は哺乳瓶を持ちそうで持ってくれていなかったですが、飲ませているときに突然持ち出すようになりビックリしました。マグマグに母乳実感の乳首をつけて練習させていましたが、なかなか成果が見られずな状態でしたが、ほんとに突然持って飲むようになりました(持ち方はまだへたくそですけどねw)
そして保育園も始まりました。
まだ慣らし保育ですが、保育園から帰ってくるといつも疲れた顔をして寝かせるとぐっすりと寝すぎて心配になるほどです。
しかし妻も6月から復職するのでしっかり保育園になれていってほしいなと思います。
1歳の誕生日
娘の1歳の誕生日は保育園デビューの日でした。
初めて保育園に1時間預けてきました。
保育園ではさっそく誕生日会を開催してくれたみたいで娘も喜んでいたみたいです。
そして娘は1歳にしては小さいので周りのお友達に囲まれて赤ちゃん赤ちゃんと注目の的だったようです。
そして午前中で保育園が終わり、娘初めての貸しスタジオでの撮影にも行ってきました。
セルフフォトスタジオAnniversary!での撮影体験記:初心者でも簡単にプロの仕上がりにの記事に書いたスタジオで誕生日フォトを撮影してきました。
私は自分のカメラで、妻はスタジオに設置されているカメラで撮影しました。
こちらの貸しスタジオをセルフとなっていますが、頼めばスタッフに撮影もしてもらえるため非常に気楽に撮影が楽しめます。
そして夕飯は私の両親がお寿司を準備してくれて私の両親と妹と妻と娘で誕生日祝いを実施しました。
娘も妻手作りのケーキを準備していて手づかみでうれしそうに食べていました。
妻の家族とは誕生日の週の土曜日に妻家族たちとお祝いを実施しました。
娘も誕生日プレゼントをもらってご満悦でした。
娘のこれから
娘はまだハイハイもお座りもできない状態のため次の定期検査までにできていなかったらリハビリという名の特訓が始まるということだったので、家でしっかり練習していかないといけないなと感じています。
今まで娘は退院の時も心臓の時も頑張ってお医者さんも驚く成長で乗り切ってきたので次もしっかり乗り越えていってくれたらなと思っています。
まとめ
超未熟児の485gで産まれた娘が1歳を迎え体重も5.5kgを超えています。産まれたときから比べると10倍以上の成長ですが、普通の1歳児と比べるとまだまだ小さいです。
もっともっと大きく成長してくれることを願って一生懸命娘と寄り添い見守っていければと思っています。
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